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【社長対談vol.01/JIMOTO】地域を愛し、 愛される会社を 目指して(第2章)

 

今野/地元について話す時、震災は避けて通れません。当時、孝志さんは仙台JC(仙台青年会議所)の理事長でしたよね。私もメンバーの一人として、自社の復旧と同時に可能な限りJCとしての活動を行っていましたが、理事長としてどのような思いで取り組まれていたのですか?

 

齋藤社長/当時は父が社長だったので会社のことは任せて、専務だった僕はJCを優先させました。サイコーの社員よりJCに関わる人の数が多かったことも理由の一つです。うちの会社では仙台市の瓦礫処理をして地域の同業者とも連携できたし、震災翌日には遠くに住むスタッフが自転車で出社してくれたりして、想いを一つにできたと思います。
JCとしては県庁の災害対策本部に参加させてもらって、僕らができることをやっていきました。病院で緊急発電用の重油が足りないと聞いて、クリーニング店から集めて持っていったり、そういうことは地元の中小企業だからこそ、すぐに話を取りまとめて実行できた。あの時、僕ら中小企業が腹をくくってリスクを背負う覚悟があれば、何でもできるなと実感しました。

 

今野/今のお話は地元企業の可能性を感じますし、協力・連携することの意味を改めて考えさせられます。私自身はあの日、オクフェス(※5)の打合せをしていて、これから具体的に進めていくために色々と決めたところでした。震災後、色々なイベントが自粛された中で、お酒のイベントをやるべきかどうか悩みましたが、結果的にやることを選び、過去最高の人出(2011年当時)になったんです。多くの方に「ありがとう」と言われて、「おもいを、カタチに。みんなを、ゲンキに。」という会社の理念が実現できたなと思いました。

(※5)オクフェス…正式名称は「杜の都のビール祭り 仙台オクトーバーフェスト」。錦町公園を会場に、毎年9月に開催している。国際交流と地産地消をテーマに国内外のビールや東北の食材を活かした飲食ブースが出店するイベント。

 

齋藤社長/震災後はまず「雇用は必ず守る」と約束しました。緊急事態にも、僕がいつもと同じように地域のために動いているのを見て、社員にも「この人はブレないんだ、いつも言っていることは本気なんだ」と伝わったと思います。当時の僕は専務で、社長を引き継いだのは2012年。父の経営は、トップダウンがメインのマネジメントでしたが、僕はもっと働きやすい環境にしたいと思い、ガラッと変えました。社員の時間を作りたいと思って、効率をあげるためにライバル企業とも手を組んだりね。1年半くらいは会長とぶつかることも多くて大変でしたが、基本的には黙って見ていてくれたのはすごいと思います。

 

今野/先代が見守ってくれるのはありがたいですよね。うちは1992年に社名を今野平版印刷からユーメディアに変え、コミュニケーション支援企業という新しい経営方針をと打ち出したものの、実際にはまだ印刷事業が主体でした。2014年に代替わりした時、私の仕事はメディアにこだわらないコミュニケーション支援事業を具現化し、「自社主催の事業を柱に、地域を元気にしていく」という新しい方針を発展させていくことだと思い定めたんです。反発もありましたが、会長が私を後継者だと公言してくれたこともあって、現場とも議論を重ねながら今の形にすることができました。

 

 

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