【vol.10】境界線のない地域活性化
今野/緊急事態宣言が明け、久しぶりに気仙沼に来ることができてうれしいです。東日本大震災後から、御社の情報誌やコーポレートサイト、会社案内パンフレットなどの制作を通じて情報発信をサポートさせていただいておりますが、改めて、御社が気仙沼で創業したきっかけを教えていただけますか。
阿部社長/弊社の創業者である私の父は、南三陸町の歌津地区で魚の卸業を営んでいました。昭和35年に起きたチリ地震による津波で店舗と道具を全てなくし、気仙沼に移住。その翌年に、阿部長商店を創業しました。
初めの頃は、気仙沼の市場で仕入れた魚をまちで行商していたのですが、徐々に交通インフラが整備され、冷凍技術が進歩していくにつれ、魚の販売先を全国に拡大。年間を通して、あらゆる魚を出荷できるようになりました。同時に、魚の加工技術を社内に蓄積。鮮魚以外の水産商品もたくさん開発してきました。
このように水産業を拡大していきながら、昭和47年には観光業をスタート。おいしい水産物と美しい三陸の景観を生かした宿にはたくさんのお客様が訪れてくださり、宿泊施設や「気仙沼お魚いちば」といった観光施設の拠点も少しずつ増えていきました。
今野/まさに、「水産業と観光業の融合」が御社の強みですよね。そこにたどり着くまでに、どのようなビジョンを描いていたのですか?
阿部社長/今振り返ってみると、東日本大震災以前は明確なビジョンがなかったように思います。水産業は日々の相場の変動に伴い、いろいろなことが変化する業界なので、長期的な視点で物事を考えることが難しいのです。
そのような中、東日本大震災で水産業がストップ。気仙沼や地域の産業について考える時間が増えました。そして意識するようになったのが、「水産業と観光業の融合で気仙沼を盛り上げる」というビジョンでした。我々が手掛ける2つの産業は元から気仙沼に存在していたものの、それぞれ別の産業として認識されており、交わる機会がなかった。
しかし、水産と観光を組み合わせれば、このまちに新しい価値を生み出せるのではないかと考えるようになったのです。気仙沼をより良くするために、自分たちが地域のモデルになろう。そう決意してからは、地域との関わり方を積極的に変えていきました。
実際に、震災後の新たな商品として「ふかひれスープ」を開発した時には、まちの観光分野の方々にも参加していただくなどして、交わりの機会を増やしていったのです。
今野/民間企業である御社が先頭に立って気仙沼の産業を融合させることで、地域の方々もその価値に気づき、まち全体がイノベーションしていく。素晴らしい貢献ですね。
地域と会社、どちらも一緒に発展していくために事業領域を広げ、地域との関わりを深めてきたという点は、弊社も同じです。我々の事業は印刷製造業から始まり、工場がある周辺地域の皆様に印刷を使ってお役立ちしていくことが基本でした。
しかし、「地域と会社のために、もっとさまざまな分野でお客様の課題を解決できる会社になろう」と舵を切り、事業領域や活動エリアを広げてきたのです。
今や、自社の利益さえ確保できればそれで良いという社会ではなくなっていますよね。私自身も震災の時に深く感じたことですが、全てのものはつながっていて、地域の元気が自社の仕事に直結する。だから我々は、地域が元気になるのを待つのではなく、自分たちから元気を生み出すという強い思いをもって日々の事業運営に取り組んでいるところです。
阿部社長/御社には、震災の一年後に私たちが初めて発行した情報誌「三陸とれどき」の企画から制作、印刷まで手掛けていただきましたね。
震災当時は、全国各地からたくさんのご支援をいただいたので、支援してくださった方々に向けて、頑張っている気仙沼の姿を発信したいと考えたのです。
そのような思いから作成した情報誌には、カツオ・サンマ漁師の方々やワカメの養殖をされている方など気仙沼の漁業者の皆様にご協力いただき、復興に向けて歩む姿や水産物に対するこだわりなどを掲載。
我々の事業は漁業者がいなければ成り立たないですし、生産者の顔が見えることは消費者の商品に対する安心感にもつながりますので、とても良い発信になったと思います。
漁業者との信頼関係が深まっただけでなく、私たちの取り組みに共感してくださる小売業の方々と連携が生まれ、難しいと言われている漁業の六次産業化につながるきっかけもできました。
情報誌を読んで、全国から産地の視察に来てくださる方も増え、マーケットと産地の距離が一気に縮まったと感じています。
今野/漁業者の方々と信頼関係を作るというのは、決して簡単なことではないですよね。
そこに対するお手伝いができたことは、我々もうれしく思います。震災から10年が経過し、新たに感じるようなった課題もあるかと思いますが、現在力を入れている取り組みはありますか?
阿部社長/震災による環境の変化や近年の気候変動の影響で、獲れる魚の量がかなり減ってきています。限られた資源を未来に残すのは私たちの重要なミッションでもあるので、SDGsに向けた取り組みを積極的に実施しているところです。
例えば、獲れた魚を無駄にしないこと。たくさん魚が獲れていた時は未利用のまま捨てていた部位もありましたが、加工の仕方を工夫することで、食べられなかった部位もおいしく食べてもらえるように努めています。
最近だと「メカジキのハーモニカ(背びれの付け根部分)」が人気ですが、今度は、船の上で捨ててしまうメカジキの胃袋を食材にできないかと、弊社の調理部門のスタッフが試作を行っています。いつか、「気仙沼ホルモン」に並ぶご当地グルメにしたいですね。
また、魚のアラは魚粉に加工して養殖業の餌にしていましたが、内陸部で野菜や米を作る際の肥料にしたり、県南で飼育されているカモの餌にしたりなど、他地域の農畜産業の方々とも連携し始めています。
そうやって育った食材を我々の宿泊施設で提供できれば、食の循環にもつながります。業界を超えた取り組みは、今後も推進していこうと思っています。
今野/先ほど、漁業者の皆様と信頼関係を築きながら六次産業化を進めているというお話がありましたが、今度は漁業の枠を超えて食の循環づくりに取り組まれているのですね。
コロナ禍ではありますが、東北は長期滞在型の観光も注目されているので、旅行者が宮城県内の産地を巡りながら食の循環を理解し、ファンになり、商品リピートが始まる、そんな流れが生まれたら理想的だなと思います。
阿部社長/ほかにも、県を超えた広域エリア内で、新しい産業を作ろうと計画して岩手県南部から宮城県北部の沿岸地域は、天然の魚に対する依存度が高い地域。
しかし、天然の魚は漁獲量が減っているので、その代わりになる資源を生み出す必要があります。
そこで、釜石、大船渡、気仙沼の3市が連携し、新たな「三陸ブランド」となる「三陸サーモン」の養殖業を始めるため、「三陸サーモン養殖バレー協議会」を設立しました。
減少する水産資源の代わりとしてだけでなく、養殖体験を観光コンテンツ化することができれば、水産業と観光業の融合によって、広域エリアの新たな地域活性化産業を生み出すことができます。
今野/仙台・宮城・東北の活性化に取り組む際、我々は最初に市町村単位でその地域の特性や課題を探り、解決策を考えてきました。
時には、市町村よりもさらに小さなエリアの視点で考えなければならない場面もあり、その領域は「エリアマネジメント」という表現にして今後力を入れようと考えているところです。
小さなエリアというと誤解されることも多いのですが、我々が考える「エリアマネジメント」は、狭い地域の課題解決をきめ細やかに進めながら、「点」を「線」に、「線」を「面」に広げること。
最終的には、東北全体を盛り上げることが目的です。阿部社長のお話を聞きながら、目指すところは一緒なのだなと感じていました。
阿部社長/そうですね。我々の出発点である気仙沼は、やっぱり「食」のまちなので、魚だけでなく近隣地域の農畜産物も一緒に味わっていただいて、より多くの場所の魅力を知ってもらえたらうれしいです。
今野/食は、東北にとっても欠かせないテーマですよね。
弊社が地域のブランディングを進める事業の中で、今後強みとしていきたい分野を整理したのですが、その中には「食」も含まれています。食といったら、やはり御社から学ばせていただく部分が大きいと思います。
改めて、今後も一緒に新しい価値を生み出していきたいと感じる対談でした。今日は貴重なお話をありがとうございました。
阿部社長/ぜひよろしくお願いします。
情報発信の部分など、我々だけではできないことがたくさんありますから、今後も連携していけたらうれしいです。ありがとうございました。
Credit
Creative Director & Designer/ 田向 健一
Interviewer & Writer / 澤田 朱里